宮内寿和

ひいじいさんの代から大工です。5歳の時におやじに屋根のぼらしてもらって釘を打った瞬間に「お父ちゃん俺、大工になるわ〜」と決意表明、まるで神の声が聞こえたような気がしました。それ以来、ほかの道は考えたことがありません。小学校の卒業文集にも、将来は大工と書いてます。中学を出てすぐ、夜間高校に通いながら、昼間は父の一番弟子で、独立して親方になっていた叔父の元で見習の生活。厳しかったですね。4年間、電動工具を持たしてもらえなかったです。

見習期間が終わったのは、ちょうどプレカットが出てきて、ハウスメーカーの下請け仕事が増えていた頃でした。ガンガン稼げたんですが、ある日、建て主の奥さんに泣かれたんです。「ここを変えて欲しいのに、どうしてそう言えないんでしょうか。自分の家なのに」って。決まったプランの中から「選ぶ」だけの家づくりではなく、その家族のためにイチからつくる仕事がしたい、と思い始めたのはこの時かもしれません。

その後、工期厳守の中での無理がたたって、入院と自宅療養で5ヶ月の休職。自分自身を見つめ直す日々の中で、やっぱり小さい頃にあたりまえだった、木の香りのする家づくりをしたいと心から思ったのが31の時です。退院後、ちょうどその頃できた木考塾で勉強しながら、地元の木を使った手刻みの仕事、本来の大工の世界へと戻って来ました。さらに、山の循環の中での家づくりを考えるようになり、今では地元滋賀県産の木での家づくり、水中乾燥、四寸角挟み梁工法などに取り組んでいます。

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